ドナウ連邦建国史Wikiがついに設立されました! 未だ記事数はわずかですが温かい目で見守りください。

差分

このページの2つのバージョン間の差分を表示します。

この比較画面へのリンク

両方とも前のリビジョン前のリビジョン
次のリビジョン
前のリビジョン
wiki:第二次世界大戦 [2025/05/04 19:22] dokuwiki-adminwiki:第二次世界大戦 [2025/05/06 12:01] (現在) dokuwiki-admin
行 16: 行 16:
 同盟国は枢軸国の反帝協定に相当する母体は存在せず、第二次世界大戦の勃発により枢軸国の侵攻を受けた国々が事後的に結成したものである。[[wiki:ドイツ帝国|ドイツ帝国]]、[[wiki:イギリス連邦|イギリス連邦]]、[[wiki:ロシア共和国|ロシア共和国]]を主な加盟国とするが、共同司令部や加盟のための条約は存在せず、特にドイツ帝国はヴァルミー作戦による本土の陥落のため中央政府としてではなく各現地軍の独断で他の同盟国と合作する例が相次いだ。 同盟国は枢軸国の反帝協定に相当する母体は存在せず、第二次世界大戦の勃発により枢軸国の侵攻を受けた国々が事後的に結成したものである。[[wiki:ドイツ帝国|ドイツ帝国]]、[[wiki:イギリス連邦|イギリス連邦]]、[[wiki:ロシア共和国|ロシア共和国]]を主な加盟国とするが、共同司令部や加盟のための条約は存在せず、特にドイツ帝国はヴァルミー作戦による本土の陥落のため中央政府としてではなく各現地軍の独断で他の同盟国と合作する例が相次いだ。
  
 +===== 枢軸国 =====
 +==== 1939年参戦 ====
 +  * ドナウ連邦:1939年9月1日参戦。
 +
 +==== 1940年参戦 ====
 +  * フランス・コミューン:1940年5月10日参戦。
 +  * ポーランド王国:1940年12月参戦。
 +
 +==== 1941年参戦 ====
 +  * ウクライナ・ラーダ社会主義共和国:1941年4月22日参戦。
 +  * [[wiki:日本|日本帝国]]:1941年12月8日参戦。ただしロシアとは日露中立条約を遵守して1945年までは平和を保っていた。
 +  * [[wiki:満洲国|満洲国]]:1941年12月8日参戦。
 +
 +==== 1942年参戦 ====
 +  * タイ王国:1942年1月参戦。
 +  * [[wiki:リトアニア臨時政府|リトアニア臨時政府]]:1942年春にドナウ軍によってリトアニア王国から解放され、義勇兵を送る形で間接的に参戦。
 +  * [[wiki:ラトビア|ラトビア共和国]]:1942年春にドナウ軍によってバルト公国から解放され、その直後に参戦。
 +  * [[wiki:エストニア|エストニア共和国]]:1942年春にドナウ軍によってバルト公国から解放され、その直後に参戦。
 +  * [[wiki:フィンランド|フィンランド王国]]:1942年春に参戦。[[wiki:冬戦争|冬戦争]]の失地回復を目的とした。
 +  * [[wiki:アメリカ・サンディカリスト国|アメリカ・サンディカリスト国]](CSA):1942年10月、イギリスによる宣戦布告を受ける。アメリカ大陸の局地戦だったアメリカ内戦が初めて世界大戦の一部となった。
 +  * [[wiki:ベラルーシ・サビエト社会主義共和国|ベラルーシ・サビエト社会主義共和国]]:1942年夏にウクライナ人民軍により全土が解放されて成立し、それと同時に参戦。
 +
 +==== 1943年参戦 ====
 +  * グルジア民主共和国:1943年夏に参戦。
 +  * [[wiki:ビルマ|ビルマ国]]:1943年8月1日に独立と同時に参戦。
 +  * [[wiki:フィリピン|フィリピン第二共和国]]:1943年10月に独立と同時に参戦。
 +  * ブルガリア王国:1943年12月に参戦。
 +  * ギリシャ共和国:1943年12月に参戦。
 +  * [[wiki:中華民国|中華民国(国民政府)]]
 +
 +===== 同盟国 =====
 +==== 1939年参戦 ====
 +  * ユーゴスラビア王国:1939年9月1日参戦。
 +  * イタリア王国:ユーゴスラビアに対して独立保証をしていたが、ドナウ連邦のユーゴスラビア侵攻に伴い1939年9月1日参戦。
 +
 +==== 1940年参戦 ====
 +  * ドイツ帝国:1940年5月10日参戦。[[wiki:ヴァルミー作戦|ヴァルミー作戦]]の結果、同年6月22日に[[wiki:仏独停戦協定|仏独停戦協定]]が成立し名目上は降伏する。ただし帝室、亡命政府、その他現地軍は海外で抵抗を続けた。降伏したドイツ本土はいわゆる「ベルリン政府」と呼ばれ、後の[[wiki:ドイツ民族国|ドイツ民族国]]となった。
 +    * [[wiki:バルト公国|バルト公国]]:1940年5月10日参戦。
 +    * ドイツ帝国亡命政府:当初ノルウェーのオスロに設立したため「オスロ政府」とも呼ばれた。帝室と中央政府を中心としたが、敗戦をめぐる皇帝と政府の責任を問う声から設立当初は強力な権威を発揮できず、植民地の現地軍の独断先行を許すこととなった。戦争の進展とともにドイツ帝国植民地軍のまとめ役となり、アメリカ本土上陸作戦を指揮する。
 +    * [[wiki:ドイツ東方軍|ドイツ東方軍]]:降伏を拒否してポーランド王国、リトアニア王国、バルト公国、のちロシア共和国に逃れた本土防衛部隊の残党。[[wiki:エーリッヒ・フォン・マンシュタイン|エーリッヒ・フォン・マンシュタイン]]中将を指導者とした。
 +    * [[wiki:ドイツアフリカ軍団|ドイツアフリカ軍団]]:ドイツ帝国の傀儡政権である[[wiki:モロッコ|モロッコ王国]]を拠点とするドイツ帝国軍残党。指導者は[[wiki:エルヴィン・ロンメル|エルヴィン・ロンメル]]で、フランス領アルジェリアに反攻するなどの活躍を見せた。
 +        * モロッコ王国
 +    * [[wiki:ドイツ海軍太平洋艦隊|ドイツ海軍太平洋艦隊]]:トラックを拠点とする艦隊。降伏したベルリン政府への帰順を拒否し、周囲のドイツ領植民地を糾合して徹底抗戦を貫く。日本の参戦後はオーストラリアと独自に交渉して共同戦線を貼った。
 +        * ドイツ領ニューギニア
 +        * ドイツ領サモア
 +        * ドイツ領ノイカレドニエン
 +        * ドイツ領ポリネジエン
 +    * ドイツ領西アフリカ
 +    * ドイツ領コンゴ
 +    * ドイツ領ジブチ
 +    * ドイツ領ギアナ
 +  * [[wiki:ベルギー王国|ベルギー王国]]:1940年5月10日参戦。
 +  * イギリス連邦:1940年5月参戦。
 +    * 南アフリカ連邦
 +    * カナダ
 +    * イギリス領インド
 +    * ニューファンドランド
 +    * オーストラリア
 +    * ニュージーランド
 +    * ネパール
 +  * [[wiki:オランダ王国|オランダ王国]]:1940年5月20日参戦。ただし当初は中立堅持を志向し、ヴァルミー作戦で敗走しオランダ領に侵入したドイツ軍とも戦闘を行った。
 +    * オランダ王国亡命政府
 +    * オランダ領東インド
 +  * [[wiki:デンマーク王国|デンマーク王国]]:1940年6月20日参戦。ただし同日[[wiki:フランス人民軍|フランス人民軍]]に占領されて降伏し、国王と亡命政府がノルウェーのちイギリスに亡命して継戦した。
 +  * ノルウェー王国:1940年参戦。しかし同年にフランス人民軍により本土を占領されて降伏し、亡命政府がロンドンで成立する。
 +
 +==== 1941年参戦 ====
 +  * ロシア共和国:1940年4月22日参戦。
 +  * ドイツ領インドシナ:1941年12月8日参戦。ただしそれまでドイツ領インドシナ総督府は降伏したベルリン政府に帰順し、表面上は中立の立場だった。日本軍による攻撃をきっかけに中立から同盟国陣営へ参加することとなった。
 +
 +==== 1942年参戦 ====
 +  * アメリカ連合国
 +  * リトアニア王国:1942年春に参戦。ただしそれまで中立を堅持していたが、ドナウ軍による攻略作戦で降伏した。
 +
 +==== 1943年参戦 ====
 +  * アゼルバイジャン民主共和国:1943年夏に参戦。
 +  * オスマン帝国:1943年12月に参戦。
 +  * [[wiki:北京政府|中華民国(北京政府)]]
 +
 +====== 戦線・戦域 ======
 +  * [[wiki:アメリカ内戦|アメリカ内戦]]:
 +  * 南欧戦線:ドナウ連邦に対してユーゴスラビア王国とアルバニアを支配するイタリア王国が争った第二次世界大戦最初の戦線。ドナウ連邦軍による電撃戦でユーゴスラビアはあえなく崩壊し、アルバニアのイタリア軍も最終的には撤退を強いられた。
 +  * イタリア戦線:
 +  * ライン戦線:
 +  * 北欧戦線:
 +  * バルト戦線:
 +
 +====== 概略 ======
Print/export
QR Code
QR Code wiki:第二次世界大戦 (generated for current page)