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ロシア共和国

ロシア共和国(ろしあきょうわこく)とは、旧ロシア帝国のロシア人地域に存在した戦間期の国家である。ドイツ帝国主導の中欧経済圏を構成し、第二次世界大戦では同盟国側で参戦した。第二次世界大戦にて枢軸国に挟撃され事実上滅亡した。

概要

成立

ロシア帝国は二月革命で皇帝ニコライ2世が退位したことにより、共和制国家として再出発を果たした。臨時政府指導者アレクサンドル・ケレンスキーによるロシア共和国はボリシェヴィキによる十月革命によりクーデター的に実権を失い、これに反発した軍部、社会革命党、ブルジョワ政党らは挙兵し、ロシア内戦と呼ばれる動乱に突入した。

ロシア内戦では各地で武装勢力が挙兵し、階級や民族ごとの四分五裂に陥った。ウクライナ国など非ロシア系民族の中には独立を獲得するものもあった。ドイツ帝国は東部戦線の停戦と自国経済圏獲得のため、ブレスト・リトフスク条約でロシアと停戦すると同時に、占領していた旧ロシア帝国西部の非ロシア人地域を次々と独立させた。このときウクライナ国、白ロシア王国バルト連合公国フィンランド王国リトアニア王国ポーランド王国が独立している。

このような混乱の中、反ボリシェヴィキ側のロシア人は白軍運動に集結し、協商国のちにドイツ帝国を中心とする同盟国の支援を受け、ボリシェヴィキの支配地域へ進軍した。1919年3月にはアレクサンドル・コルチャーク率いるシベリア軍がウラルから西へと進撃を開始し、5月にはニコライ・ユデーニチ北西軍がバルト連合公国から首都ペトログラードに、7月にはアントン・デニーキン率いる南ロシア軍がモスクワへの突撃を始めた。ボリシェヴィキの抵抗は激烈だったがドイツ帝国の支援もあり白軍側は攻勢を続け、1920年春には独立民族国を除くロシア共和国の領土の統一に成功した。ロシア共和国は彼ら白軍運動の元勲とドイツ帝国の影響力のもとに国家再建を開始した。

新国家の建設

ロシア共和国の政治権力を構成していたのは軍人と政党であったが、武力のある軍人には民衆とのつながりがなく、民衆とのつながりがある政党には武力がなかった。ロシア共和国は呉越同舟の権力関係にあったが、国家建設の核心部を指導したのはドイツ帝国の軍事援助を受けた軍部であった。暫定大統領に就任したデニーキンは1921年に勃発したウクライナとの国境紛争(ドンバス戦争)を口実に制憲議会開催を遅らせ、その間に白軍系行政官や非ボリシェヴィキ系組合運動と連携し、憲法制定前に諸制度を布告して国家の基本的形態を整えていった。第1回制憲議会では全国統一比例代表制だった選挙制度は、選挙区で分割し、農村部における一人あたりの票数を減らすほか、各軍管区に軍人選挙区を設けるなど中央に有利な形で調整された。また、政府の御用政党として統一党を結成し、他のブルジョワ政党や社会革命党の一部を含む政党ブロック全ロシア救国同盟を設置して議会政党工作を行った。

こうしてロシア共和国は憲法を制定し、名実ともに国家の体制を構築した。社会主義政党は軍部に不満をためていたが、社会革命党にはロシア帝国時代のゼムストヴォを基礎とする県議会と民選の県知事に権力を移譲して宣撫した。その一方、複数県を総括する州を設立し、県から州へ徐々に権力を移譲して中央の管理を強めた。州は軍管区と一致し、白軍の各軍閥の影響が非常に強い行政区分であった。そのほか、降伏した旧ボリシェヴィキを含むメンシェヴィキには、都市部限定での組織化かつストライキを禁止する条件付きで活動を許し、労働者の不満のガス抜きを図った。

再軍備とファシズム国家化

経済の再建が進むと、ロシア共和国のドイツ帝国に対する関係は従属から機会主義的な協力関係へと変化した。資源輸出においては中欧経済圏一辺倒ではない多角化を志向したが、アジアにおいてはドイツと連携して利権維持と日本帝国に対する防備を図った。

1932年に日本の傀儡である満州国が成立すると、対抗したロシアは1934年に中華民国新疆省をウイグルスタン共和国として分離独立させた。既に存在していた傀儡国のトゥバ共和国モンゴル共和国とともにロシア軍を駐屯させ日本に睨みを効かせた。さらに、ドイツ傀儡の中華民国北京政府(馮玉祥政権)と経済・軍事で合作を深めて日本の進出に対抗した。シベリアとアジア方面のロシア軍は、コルチャーク系の軍人がその中核を締めていた。

世界恐慌に対して、デニーキンはムッソリーニの影響を受けて自身を中心とするファシズム国家化を進め、軍・官・政党・組合による挙国一致体制を宣伝した。1937年に隣国ウクライナでフランスの影響を受けた人民戦線政権が成立し、フランス、ドナウ連邦、日本帝国、ウクライナなどによる反帝協定が調印されると、ロシア共和国は急速に軍拡を推し進めることとなった。

第二次世界大戦と事実上の滅亡

1939年にドナウ連邦がユーゴスラビアに侵攻したことで勃発した第二次世界大戦では、その初期においてロシアはあえて旗幟鮮明とせずに中立に努めていた。1940年4月にドナウ=ロシア中立条約を、12月に日露中立条約を結び、反帝協定諸国の切り崩しを行った。その一方、ヴァルミー作戦で破れたドイツ軍残党をロシア国内に匿うなど、微妙なバランスでの外交が行われた。

しかし、このような薄氷の上を進むような状況はすぐに破られた。1941年3月28日に隣国白ロシア王国で親ウクライナ派のクーデターが発生したのに対し、4月6日にロシア軍は白ロシア王国に軍事介入を断行する。ウクライナ人民軍も白ロシア王国に進出し、ついにロシアは枢軸国と武力衝突するに至った。いわゆる東部戦線と呼ばれる激烈な攻防の結果、1946年にモスクワは陥落し、デニーキンはモスクワ防衛戦のなかで戦死した。

1945年8月には中立を堅持していた日本がロシアに宣戦布告するにいたり、シベリア東部(嶺北)が奪取されるに至った。

デニーキン死後のロシアは各軍管区の軍閥が林立したが、最終的にはシベリア西部に残党が集結して後にシベリア共和国に国号を変更した。ロシア共和国は第二次世界大戦によって事実上滅亡したと見なされている。

政治

国制

大統領制である。就任した大統領は憲法制定前の臨時指導者を含めてアントン・デニーキンのみである。

議会は国家院と元老院の二院制で、国家院は前述の選挙制度で選出されており、元老院は大統領が指名した者が議席の大部分を締める。元老院は白軍運動関係者が多く、軍部が国政に介入する具体的制度であった。

首相は大統領の指名と議会の承認によって決定される。

ロシア共和国の行政区分図 県の上に軍管区と領域を一致する州が設置され、中央政府と軍の強い影響力を受けていた。これに対し、県に対する統制は比較的弱く、県議会を中心とする地方自治がなされた。 州の一覧は以下のとおり。なお、軍は各軍管区にロシア内戦時代の各白軍の潮流を温存していた。

政党

全ロシア救国同盟

全ロシア救国同盟は与党系の政党ブロックである。政府官吏、軍人、ブルジョワ、中農、非サンディカリズム系労働組合を中心に支持を獲得した。

野党

その他、国外ではフランスが旧ボリシェヴィキの亡命人士を抱えており、パリ・インターを通じて秘密工作を行っていた。

外交

ドイツ主導の中央経済圏加盟国だったが、資源輸出の利益を背景にドイツに対しては強気の姿勢を隠さなかった。その一方、国防においてはドイツと連携するなど合理主義的・機会主義的外交を展開した。 また、傀儡国を擁していた。