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ノヴォシビルスク休戦協定

ノヴォシビルスク休戦協定とは大東亜統一戦争の停戦に関する協定である。調印、発効は1978年8月25日で、この日が大東亜共栄圏諸国の間では「統一記念日」として祝賀される。

概要

1973年に毛沢東率いる中華人民共和国による満州国と蒙古国への一方的侵攻で始まった大東亜統一戦争は、毛沢東の死去や高崗の反乱、江青の反乱、韓先楚の蜂起などを経て中国が瓦解し、さらに日本を盟主とする東亜統一軍が中国の主要地域を占領することで戦争終結へと向かっていった。

相次ぐ反乱のため本来の中華人民共和国政府は瓦解し、各地に地域主義者や民族独立派の政権が乱立したため、日本はこれら政府を包括した全体的な停戦協定の策定を行うこととなった。

新疆省迪化に臨時首都を置く、毛沢東の息子毛岸英と後見人高崗が率いる中華人民共和国(迪化政府)とは長期に渡り交渉が続いていた。迪化政府は戦争の「黒幕」ソ連と関係が深い「親ソ派」であり、ソ連は戦争中に中国への軍事支援を行っていた。しかし、一方で反ソ傾向を隠さない毛沢東をソ連は警戒し、中国政府を支援する一方で親ソ派の高崗擁立へ工作を援助したり、戦後構想を巡って敵国であるはずの日本とシベリア共和国で秘密裏に交渉を重ねるなど、複数の可能性に賭けた老獪な手腕を発揮していた。一方、江青と毛遠新率いる文化大革命における旧造反派を中心とした中華人民共和国(武漢政府)毛沢東思想の激烈な信奉者を中心に成り立っており、敗戦や領土の妥協に対して最も強硬に反対する青年愛国者が政権の中核であったころから、戦争中に謀反を起こした高崗は彼らにとって「最大の裏切り者」「大漢奸」だった。そのため停戦交渉への参加はもちろん、迪化政府との共存すら絶対反対だった。軍事独裁路線の林彪派も過激な造反派紅衛兵をも疎む、農村部の堅実な左派党幹部を中心に支持されていた韓先楚政権は停戦賛成ではあったが迪化政府と武漢政府との共存は反対だった。このような中国側の政府分裂のため停戦交渉は困難を極めた。

こうした状態は各政府の撃滅によって解消されることとなった。一時は中国側支配地域の統一すら伺っていた武漢政府軍は1978年1月に韓先楚の逆襲に遭い、臨時首都武漢の在する湖北省を奪取された。翌2月には紅衛兵組織による造反が発生し、江青は絞首刑となる。武漢政府は大部分が韓先楚軍に占領され、湖南省南部と四川省恩施地方と陝西省漢中地方でゲリラ活動を行うこととなった。韓先楚軍は華中華南の中国支配地域を統一する勢いだったが、東亜統一軍の大攻勢の前に敗北し、5月には日本軍が武漢に入城した。各地の党組織の寄合所帯だった韓先楚軍はここで瓦解し、韓先楚に造反して日本側に降伏する党組織が相次いだ。

このようにして8月には大東亜共栄圏各国と戦闘を継続している政府は、迪化政府、漢中人民公社、恩施自衛政府(後の大施人民共和国)、韓先楚系の重慶国防人民政府(後に中間派の造反を経て華陽人民公社となる)、現地党組織により結成された華国鋒率いる湖南人民公社のみとなった。ただし撃滅された各勢力の残党や地下組織、経済崩壊に付け入る盗賊匪賊はこれとは別に暴れまわっており、大東亜共栄圏各国としては早急に停戦をして匪賊討伐戦への移行と戦後秩序の構築にあたる必要性が認識されていた。

8月、日本、満洲国、蒙古国、タイ王国を筆頭代表とする大東亜共栄圏諸国と、先述の各政府がシベリア共和国のノヴォシビルスクに集まり、停戦交渉が始まった。仲介国はソ連である。

この交渉の結果、以下の項目の形で交渉がまとまり、1978年8月25日に休戦協定が締結された。

  1. 全面的停戦
  2. 中国側戦力の一切における領土内への撤退
  3. 中国側の武装解除。ただし迪化政府の武装解除はソ連が監視する。それ以外の政府は東亜統一軍側が武装解除を行うが、国家自衛のための戦力保持は認める。
  4. 中国側各政府について、全参加国が相互に主権を承認する
  5. 将来成立する東亜統一軍側支配地域の中国人民による政府の承認
  6. 「日本解放委員会」「中国共産党東北局」「日本共産党」など反亜組織の解散
  7. 一定数の難民及び迪化政府が指定した共産党幹部及びその家族について、迪化政府領土へ安全に移送する

その後

停戦はその日のうちに発効し、1973年以来5年余り継続していた大東亜統一戦争はここに一応集結した。迪化政府の武装解除はソ連が行うため事実上空文化した。一方それ以外の政府の軍縮は日本軍を中心とする東亜統一軍が行ったため、徹底的なものとなった。迪化政府への難民・要人移送も行われ、日本軍の捕虜となっていた毛遠新も日本側の裁判を受けることなく迪化政府へ送還された。ただし、難民については迪化政府の食糧時給に限界があったため全員移送されたわけではなかった。むしろ、東亜統一軍の銃剣下で元紅衛兵や中国共産党員に対する血の粛清が行われた。特に国土を占領され住民が虐殺された満洲国軍の報復は激烈で、多くの人民が外満洲や北嶺諸国へと拉致され、二度と帰還することはなかった。非漢民族の民族政権が次々と打ち立てられた西南部では東亜統一軍と少数民族民兵による漢民族への民族浄化や強制移住が行われた。

このような粛清を経て東亜統一軍側占領地に「自発的に」結成された各政府は事実上の傀儡政府と呼んで間違いはなかったが、迪化政府を始めとする中国側各政権は形式上これらを承認することとなった。11月10日は華北で中華連盟が成立した。

中国側は戦争の結果、国土を奪われるだけでなく国家が分裂するという大敗北を被ることとなった。しかしながら、毛沢東や文革派、簡単には倒れない革命の元老たちを一掃できた迪化の中華人民共和国率いる毛岸英は、ソ連の庇護の下に国力を貯めて、国土回復の機会を伺うことができた。

戦争終結期・戦後誕生した国々

華北

  • 中華連盟
  • 大晋民国(旧山西省)

華中

  • 大施人民共和国
  • 四川人民共和国 → 華陽人民公社
  • 漢中人民公社
  • 呉越民国(旧浙江省・上海市)
  • 大寧民国(旧南京市)
  • 大荆共和国(旧湖北省)
  • 湖南人民公社
  • 大贛民主共和国(旧江西省)
  • 徽州国(旧安徽省徽州地区)

華南

  • 大客民国
  • 潮仙民国(中華民国の傀儡政府)
  • 大甌民国
  • 福州人民公社 → 大閩国
  • 三南民国
  • 寧徳市国
  • 莆田市国
  • 泉州国
  • 厦門共和国
  • 大漳民国
  • 大苗州国(旧貴州省北部)
  • 大壮民国(旧広西チワン族自治区)
  • (旧雲南省東部)
  • (旧雲南省南部)
  • (旧雲南省西部)
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