広西チワン族自治区
広西チワン族自治区は中華人民共和国の行政地区。南部に位置し、広東省の東、貴州省の西に位置する。
歴史
中華民国広西省を接収した中国共産党は1957年に広西省(中華人民共和国)を設立した。その後、最大民族であるチワン族の「民族団結」のため、広西省は1958年に広西チワン族自治区に改組された。なお、この過程で防城港市など海岸部が広東省から移譲されている。
文化大革命では「広西大虐殺」と呼ばれる惨劇が発生し、15万人が犠牲となった。奪権を試みた紅衛兵に対し、林彪に近い韋国清自治区政府主席が武力による強行鎮圧を行ったことが原因である。奪権に失敗した紅衛兵は住民に食べられるなどカニバリズムの犠牲にもなった。
大東亜統一戦争ではベトナムへ武器を送出する拠点となったため、日本軍による華南空爆作戦の主要目標となった。
また、戦争末期の1978年1月には江青率いる武漢政府軍が一時的に省都桂林を占領して自治区革命委員会を創設したほか、2月から3月にかけては高崗率いる迪化政府が占領し、党機構を創設している。
広西は戦争末期の乱戦の末、人民政治協商会議議員や林彪派残党を基に創設された「大壮民国」が日本とタイの支援を受けつつ独立することとなった。