日露戦争
日露戦争(にちろせんそう)とは、歴史上複数回行われた日本帝国とロシアの間の戦争。本来は1904年から1905年にかけて行われた日露戦争に限定して意味していたが、協和党政権成立後は主体主義によるアジア主義史観から日露戦争、第一次世界大戦のシベリア出兵、第二次世界大戦の対露参戦がそれぞれ第一次、第二次、第三次日露戦争と呼称されるようになった。
- 第三次日露戦争:第二次世界大戦末期の1945年8月9日に勃発した、日本の対露参戦。1946年9月のレイキャヴィク休戦協定を一区切りとしつつ、実質的な戦闘はその後も1947年ごろまで続いていた。アジア主義に基づく白人帝国主義勢力放逐とアジア人種同胞の独立を目的としており、北方民族会議を契機とするアジア人民族の蜂起を経てロシア共和国は嶺北から撤退し、その跡には嶺北諸国が独立して誕生した。浦塩の戦い、バヤン・トゥメンの戦い、サヤン作戦などが有名。
以上が3回に及ぶ日本とロシアの戦争である。石原莞爾は1947年にこれら戦争を「北方三戦」と総括し、これを題した漢詩を制作している。