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日露戦争

日露戦争(にちろせんそう)とは、歴史上複数回行われた日本帝国とロシアの間の戦争。本来は1904年から1905年にかけて行われた日露戦争に限定して意味していたが、協和党政権成立後は主体主義によるアジア主義史観から日露戦争、第一次世界大戦のシベリア出兵、第二次世界大戦の対露参戦がそれぞれ第一次、第二次、第三次日露戦争と呼称されるようになった。

  • 第一次日露戦争:原義としての日露戦争。満洲及び朝鮮をめぐる対立を原因として、日本帝国とロシア帝国の間で1904年から1905年にかけて行われた。日本帝国が明治維新以来2番めに経験した対外戦争である。旅順の戦い、奉天会戦、日本海海戦などを経て日本の勝利に終わった。戦死者は日本が約8.8万人、ロシアが約8万人。
  • 第二次日露戦争:当時はシベリア出兵と呼ばれる。第一次世界大戦末のロシア革命ロシア内戦に対し、当時の協商国が行った干渉の一環として1918年から1922年にかけて行われた。日本は共産主義排撃と沿海州・蒙古の人種的解放のために参戦したが、その目的は果たせなかった。なお、当時ニコラエフスクと呼ばれたアムール川河口では赤色パルチザンによるアジア人虐殺事件である尼港事件が起きている。
  • 第三次日露戦争:第二次世界大戦末期の1945年8月9日に勃発した、日本の対露参戦。1946年9月のレイキャヴィク休戦協定を一区切りとしつつ、実質的な戦闘はその後も1947年ごろまで続いていた。アジア主義に基づく白人帝国主義勢力放逐とアジア人種同胞の独立を目的としており、北方民族会議を契機とするアジア人民族の蜂起を経てロシア共和国嶺北から撤退し、その跡には嶺北諸国が独立して誕生した。浦塩の戦いバヤン・トゥメンの戦いサヤン作戦などが有名。

以上が3回に及ぶ日本とロシアの戦争である。石原莞爾は1947年にこれら戦争を「北方三戦」と総括し、これを題した漢詩を制作している。

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