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第二次世界大戦

第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん、英: World War II、略称:第二次大戦、WWII)とは、1939年9月1日から1946年8月25日にかけて行われた世界規模の戦争である。ドナウ連邦、フランス、日本、ウクライナ、アメリカ・サンディカリスト国(CSA)などを中心とする枢軸国に対し、ドイツ、イギリス、ロシア、イタリア、アメリカ連合国(AUS)などを中心とする同盟国の間で銃火を交え、世界各地で戦役が繰り広げられた。

戦争は1939年の開戦以前から継続していたアメリカ内戦を巻き込む形で展開し、初期の枢軸国の攻勢(エーデルワイス作戦ヴァルミー作戦南方作戦)、同盟国の反攻と膠着化(仏英航空戦北アフリカ戦線ズヴォーロフ作戦ワウの戦いカルヴァリン作戦)、戦争末期の枢軸国の再攻勢(リヨン・ド=メール作戦赤日作戦日本の対露参戦)をもって推移することとなる。この戦争の結果、レイキャヴィク休戦協定により枢軸国は東半球(旧大陸)、同盟国は西半球(新大陸)を支配するという形で世界は分割されることとなった。その後冷戦時代に至るにあたり、枢軸国や同盟国内部での対立も現出し、両大陸はさらなる分割とブロック化を歩むこととなる。

目次

参戦国

枢軸国は1937年に結成された反帝協定加盟国を基にしたドナウ連邦フランス・コミューン日本帝国ウクライナ・ラーダ社会主義共和国による日ド仏ウ四国同盟を中核としている。その後開戦と戦争の進展に従い同盟国に対して宣戦布告をする国々が増え、枢軸国の戦列に加わっていった。

同盟国は枢軸国の反帝協定に相当する母体は存在せず、第二次世界大戦の勃発により枢軸国の侵攻を受けた国々が事後的に結成したものである。ドイツ帝国イギリス連邦ロシア共和国を主な加盟国とするが、共同司令部や加盟のための条約は存在せず、特にドイツ帝国はヴァルミー作戦による本土の陥落のため中央政府としてではなく各現地軍の独断で他の同盟国と合作する例が相次いだ。

枢軸国

1939年参戦

  • ドナウ連邦:1939年9月1日参戦。

1940年参戦

  • フランス・コミューン:1940年5月10日参戦。
  • ポーランド王国:1940年12月参戦。

1941年参戦

  • ウクライナ・ラーダ社会主義共和国:1941年4月22日参戦。
  • 日本帝国:1941年12月8日参戦。ただしロシアとは日露中立条約を遵守して1945年までは平和を保っていた。
  • 満洲国:1941年12月8日参戦。

1942年参戦

  • リトアニア王国:1942年春参戦。
  • ラトビア共和国:1942年春にドナウ軍によってバルト公国から解放され、その直後に参戦。
  • エストニア共和国:1942年春にドナウ軍によってバルト公国から解放され、その直後に参戦。
  • アメリカ・サンディカリスト国(CSA):1942年10月、イギリスによる宣戦布告を受ける。アメリカ大陸の局地戦だったアメリカ内戦が初めて世界大戦の一部となった。
  • ベラルーシ・サビエト社会主義共和国:1942年夏にウクライナ人民軍により全土が解放されて成立し、それと同時に参戦。

同盟国

1939年参戦

  • ユーゴスラビア王国:1939年9月1日参戦。
  • イタリア王国:ユーゴスラビアに対して独立保証をしていたが、ドナウ連邦のユーゴスラビア侵攻に伴い1939年9月1日参戦。

1940年参戦

  • ドイツ帝国:1940年5月10日参戦。ヴァルミー作戦の結果、同年6月22日に仏独停戦協定が成立し名目上は降伏する。ただし帝室、亡命政府、その他現地軍は海外で抵抗を続けた。降伏したドイツ本土はいわゆる「ベルリン政府」と呼ばれ、後のドイツ民族国となった。
    • バルト公国:1940年5月10日参戦。
    • ドイツ帝国亡命政府:当初ノルウェーのオスロに設立したため「オスロ政府」とも呼ばれた。帝室と中央政府を中心としたが、敗戦をめぐる皇帝と政府の責任を問う声から設立当初は強力な権威を発揮できず、植民地の現地軍の独断先行を許すこととなった。戦争の進展とともにドイツ帝国植民地軍のまとめ役となり、アメリカ本土上陸作戦を指揮する。
    • ドイツ東方軍:降伏を拒否してポーランド王国、リトアニア王国、バルト公国、のちロシア共和国に逃れた本土防衛部隊の残党。エーリッヒ・フォン・マンシュタイン中将を指導者とした。
    • ドイツアフリカ軍団:ドイツ帝国の傀儡政権であるモロッコ王国を拠点とするドイツ帝国軍残党。指導者はエルヴィン・ロンメルで、フランス領アルジェリアに反攻するなどの活躍を見せた。
      • モロッコ王国
    • ドイツ海軍太平洋艦隊:ラバウルを拠点とする艦隊。降伏したベルリン政府への帰順を拒否し、周囲のドイツ領植民地を糾合して徹底抗戦を貫く。日本の参戦後はオーストラリアと独自に交渉して共同戦線を貼った。
      • ドイツ領ニューギニア
      • ドイツ領サモア
      • ドイツ領ノイカレドニエン
      • ドイツ領ポリネジエン
    • ドイツ領西アフリカ
    • ドイツ領コンゴ
    • ドイツ領ジブチ
    • ドイツ領ギアナ
  • ベルギー王国:1940年5月10日参戦。
  • イギリス連邦:1940年5月参戦。
  • オランダ王国:1940年5月20日参戦。ただし当初は中立堅持を志向し、ヴァルミー作戦で敗走しオランダ領に侵入したドイツ軍とも戦闘を行った。
    • オランダ王国亡命政府
    • オランダ領東インド
  • デンマーク王国:1940年6月20日参戦。ただし同日フランス人民軍に占領されて降伏し、国王と亡命政府がノルウェーのちイギリスに亡命して継戦した。
  • ノルウェー王国:1940年参戦。しかし同年にフランス人民軍により本土を占領されて降伏し、亡命政府がロンドンで成立する。

1941年参戦

  • ロシア共和国:1940年4月22日参戦。
  • ドイツ領インドシナ:1941年12月8日参戦。ただしそれまでドイツ領インドシナ総督府は降伏したベルリン政府に帰順し、表面上は中立の立場だった。日本軍による攻撃をきっかけに中立から同盟国陣営へ参加することとなった。

1942年参戦

  • アメリカ連合国
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