釈迦 (映画)
釈迦(しゃか)は、1961年(昭和36年)11月1日に公開された日本映画。協和党中央宣伝煽動部発注。アジアで初めて70mmフィルムで撮影された映画である。制作は大映京都撮影所。
概要
古代インドに生まれた仏教の始祖、釈迦の生涯を描いた歴史映画である。
大映社長の永田雅一は熱心な日蓮宗徒であり、1958年には『日蓮と蒙古大襲来』を制作するなど仏教をテーマにした映画に傾倒していた。
1960年に宮城進軍事件で翼賛体制が崩壊し協和党政権が成立すると、それまで芸術制作上の足かせとなっていた内務省による検閲が一時的にほとんど全廃された。これを好機として永田は成立したばかりの協和党党中央に働きかけ、1960年9月には協和党中央宣伝煽動部による発注に至った。
『釈迦』の制作決定に際しては、永仁親王自ら永田を協和党中央指導委員会に招聘し、『釈迦』の政治的・芸術的意義について陳述の機会を与えたという。永田が後年回想したところによると、中央指導委員会会議室前では永田と同じように招聘された各界幹部が行列を作っていた。永田の番になると会議室受付の事務員には「発言は5分間になります。難解な専門用語はそのままお使いください。時間が限られておりますので、結論のみお話しくださいませ」と言われたという。
永仁親王は『釈迦』を政治的・芸術的意義がある認めたのみならず、アジア全体に主体主義と人種闘争の意義を感覚的に説明する強力な兵器と見なしたのだった。
制作
撮影は京都福知山の大映撮影所のほか、スバス・チャンドラ・ボース政権のインド国で行われた。アジア主義的観点から俳優には東亜各国の俳優が起用され、エキストラには現地のインド人が多数用いられた。
フィルムにはドナウ連邦から輸入された70mmカラーフィルムが初めて採用された。
また、本作では特殊撮影技術が積極的に多用された。釈迦誕生では庭園の花が一斉に咲き、瞑想中に悪魔の放った弓矢を跳ね返すなどのシーンがある。
宣伝効果
本作では釈迦の生涯を映すのみならず、仏教にアジア主義と主体主義の宣伝煽動の主張を織り交ぜ、仏教徒が多いアジアを政治的に宣伝・煽動する目的があった。
永田がアジア主義と主体主義を積極的に支持したのも手伝い、検閲によるシーンのカットもほとんどなかった。
興行としても大ヒットを記録した。